|
2003年はSARSで大騒ぎの1年でした。一時はどうなることかと思いましたが、上海は北京や広東省に比べて被害の拡大もほとんどありませんでした。そしてSARSのおかげで(?)上海剣道愛好会は新たな展開をすることになります…。

と、いうのもこのSARSの期間中、これまで活動場所として使ってきた上海日本人学校から、体育館は「日本人学校の生徒とその関係者以外使用禁止」となり、台湾メンバーや韓国メンバーの使用ができなくなってしまったからです。日ごろは、日本人学校を当たり前のように使っているメンバー一同あせりました。「何とかして場所を確保しなければ、稽古が続けられない状態」になったのです。会長をはじめ、メンバーそれぞれが心当たりのあるスポーツセンターやジム、体育館に連絡を取り、剣道ができそうな場所を探しました。訪問して、広さや床の硬さを見たり、仕事そっちのけで場所の確保に走り回りました。
とりあえず、「日本人学校関係者メンバー」はそのまま日本人学校で、「日本人学校使用不可メンバー」は、岩谷先生の指導の下、市内の狭いジムでという風に2チームに分かれての活動がしばらく続きました。市内のジムでは、剣道をジムのプログラムとして教えてほしいという要請が、毎回のようにありましたが、先生の手配ができないなどを理由に丁寧にお断りしては、ジムを移動するという「ヒッピー(古いか?)」のごとく、市内をさすらったのです。
後日、当時を振り返った岩谷先生曰く「厳しい稽古にしたら、どんどん脱落すると思ったけど、あのときのメンバーは厳しい稽古が好きだったみたいだな。初心者がどんどん増えちゃった…。」との言葉どおり、このころから「日本人学校使用不可メンバー」の方には、中国人入門者が増えていったのです。
これまでの上海剣道愛好会は、剣道好きな日本人と少数の外国人が集まって稽古をするという、ある意味で閉鎖的な活動をしていました。しかし、このSARSがきっかけとなって、市内のジムを転々としたために、中国人の目に留まるところとなり、ローカルメンバーが続々と入会したのです。しかも、今まで日本に行ったこともなければ、日本語もできないメンバーが…。
日本人に教えるのであれば、ある程度の思考回路やバックグラウンドが似ているため、「言わなくても理解できる部分」というのが存在すると思います。でも、中国人メンバーとなると、文化も考え方も違いますから、「説明しなきゃ分からない部分」や「説明しても分からない部分」で、先生方は苦労されたと思います。しかも剣道用語やそのバックにある考え方を中国語で説明する…。最初は怪しい中国語を駆使して(2004年になった今でも、怪しい中国語には変わりないかも…)、交流を図っていました。
ローカルメンバーの「なぜ」とか「どうして」という質問に対し、日本人の先生方がそれぞれ日本での恩師に連絡を取って、説明の仕方を考えるなど、当初、先生方ですら戸惑いながら教えていたに違いありません。でも、そのおかげでもう一度、違う視点から剣道を見る事ができたのは、よかったのかも知れませんね。


そんなわけで、閉鎖的活動から開放的活動へ転換しつつあった2003年。運動に対する勘のよさと先生方の情熱的な指導のおかげで、ローカルメンバーはどんどん上達していくのでありました。
上海剣道愛好会のモットーは、「みんなで楽しく、剣道を通じて交流を深め合う」(今、考えました)です。こうして、思わぬきっかけでローカルメンバーが加入したことによって、その思いはますます強くなっていきます。もちろん、上海の剣道を発展させていくのは、ローカルメンバー。私たち日本人は、技術指導者として上海の剣道発展に貢献できたらいいなと感じています。
現在、上海には上海剣士会、上海剣道クラブ、楽市楽座剣道部などさまざまなところで地元の人たちが剣道を楽しんでいます。
(2004年3月、写真は雑誌「コンシェルジュ上海」の方から提供していただきました。感謝♪)
戻る |